くもり

   いつだって平等でいたかった。けれど選択するとは削除することであって、その積み重ねがいつかに繋がっていると祈るしかない。

   愛の対岸には殺意だ。ちゃんと殺せ。削除済みのブログに書いてあった言葉を今でもだきしめているのは、それができない生き様だったから。刺してくみたいに反芻するしかなくても。

 

   特定のアイドル好きを公言する芸能人を見ているとなんだか不安になってしまうのは、好きじゃなくなったらどうするんだろうって思うからだ、余計なお世話にもほどがある。例外はあるけど。

   

   昼食を滞りなく食べるための友達、二泊三日を過ごすために集まった指先が、ふれるだけでもたえられないくらいに、にくんでいたってきのうのTVの話をして笑えたじゃんあのころは、それを難しいことだとすら思わなかったでしょ。それからたった七年経ったわたしたちがだれかに告げた言葉に重みはあるのかな。虚構で捕まえた彼氏と行った海外は楽しかったですか? 

 

   かっこいい友達もダサいことを言う、大好きな人にも生活があって嫌なことも言う、それを受け入れられないまま大人になってしまった。高校時代の部活のコーチがこの前呟いていた。原文は削除済みなので意訳です。

   一点の曇りなくすべてをみとめてしまいたいって思っていて、そんなの建設的じゃないこと、流石に知っているのにね。大人だから。

  

    体裁のために恋人を手に入れて、そのことすらも忘れてしまって、人を愛した記憶を持ってしまうなんてことがむなしい。一緒によってしまう方が楽だったとしても簡単に、感情を手放すなんてしたくなくて、一から百まで理想論だとしても、簡単な感情ばっかり数えてたら名前もよべなくなってしまうらしいし。集約されたところに身をまかせていたらすぐに忘れてしまう。ライブに行くときにあいたい人が変わったならちゃんとそれを認めたい。

 

   大人になって、あのころは若かったよなって発泡酒を片手に大口開いて笑うなんて、作為的な思い出で現実の酒は美味くならないのに。高校生には高校生だけの恋愛があると言われて『そういうもんなんですね〜』なんて言ったけど。言ったけどさ、

 

   結局そうして感情に神経質になっているのは、過去、わたしがそうして生きてきたからに過ぎない。すべての記憶がよごれているわけでは全くないけれど、楽しかったけど、愛想笑いをしたことが、防御ボタンを押すみたいにして、つまらない話で笑ったことが、きみにもいつかあったでしょ。ないならいいです。

 

   だから学生時代にともだちが少なかった人がすき。なにもかも未発達で、止められるものもなくて、それでも簡単な方へながれなかった、一瞬で倒せる程度の自意識で、それでも籠城を固めていた人が好き。今、マジで今、ちゃんと守ってると思ったとしても。

   

   あなたがおさなかったときにくもらせなかった目は、多分今でも澄んでいて、それはとても生きにくそうに見えるけど。だから本当だってひびく。レンズはすぐに曇る。だけど、それでも顔は見える。

 

 

 

※ ✂︎文献 : 好意で目は曇るのか?という話(“https://kbey.hatenablog.com/entry/2020/05/23/031156) “好きな人のサイテーな虚像”は、捉えている間はまだマシでも、現実に帰ってきたとき負債があまりにも大きいよねって思った。元より見えてはいなくても、サイテーでも、幻想旅行がしたくなっても。どれほどレンズがくもっても。