始業式の気分

   毎日が区切りがなくつづいている感じがして、具体的なことがない。平日は文章を書こうと思っていたから火曜日は負債した感情があったけれど、水曜日からは向き合うのもめんどうになってきて、やめてしまった。下書きはまだ残っている。

 

   具体的なことがないというのはわかりやすいことがなかったというだけで、実際は毎日が地続きだということを、肉薄して感じてしまうだけだと思う。

    

   水曜日からは書く意識もなくなってきて、掃除をしていた。整理整頓は苦手だけれど、磨いたり拭いたりするのはたのしい。

 

   わたしは多分きたない布団でも寝られるけれど、ガラスについたひとつの汚れが気になってしかたがない。思考がせまいから。思考がせまいと、自分が見えている視界だけが全部になる。自分以外のすべてをゆるせなくなって、異端者を見る目を獲得してしまう。

 

   しまうことばかりだと、あらうのがおそくなる。わたしはあらいものをするのがおそい。そうやって、日々のたいせつなことよりも、些細すぎることにばかりめくじらを立てているのかもしれない。いまだにいいねのひとつも押せないし。

 

   金曜日は身体が稼働していなかったので休日はたまご焼きをつくった。返していなかった連絡を返す。土曜日でも日曜でもべつにいいのに。ずっと、めくじらをたてる場所をまちがっている。

 

 https://soundcloud.com/waitingforyouinthedark/sn00fxewjzac

   マジごめん/まちぶせ(machibuse)

   

  

  

人生に一字空けはできない

   絵を書くのは楽しい。きのうはずっと絵を書いていた。デッサンなんてさっぱり出来ないし、漫画も書けないけど。

 

   三月がおわって新しくもない四月が来ても、三歳のころみたいに色遊びをして、働き始めてもいないというのに、ゆめの敗北者の矜持もなく、きのうの日記を書いている。

    

   思い切りがいいねと言われても、そうだねと返せる。下書きなんてだるくて直でチューブから爆発させるみたいに書くけど書けないから、丸一日 全部 無駄にしてしまう って声がくっきり聴こえてきて、きのうはおとといになってしまった。

 

   一途の意味を取り違えているからわたしは、掛けた時間で美しさが変わると思っていた。いたかったかな、刻んだ文字しか化けられないと信じていた。よくあるはなしよくあるはなし。

 

  こうやって行数を重ねるとこぼれていつか空になって、からになったら書けなくなるかもしれなかった。不完全な言葉を投獄させることは罪にも等しいような気がしてた。大方うまくはいっていなくても、見切りをつける力は足りていない。それはもうずっと前から。

 

   えのぐを塗り潰すみたいに、走って追いつけない速さで。きみとのやくそく、やぶりつづけて、初日からちこくだね。それはまだ、はるやすみのつづきということにしておいてもいいかな、

 

   全然楽しくなくて、近寄らせてもくれないひとのことを、頭の中から剥がせたことはなかったし、一緒になんて過ごしたいわけじゃなかったのに。はるがおわっても、多分そう。

 

 

https://soundcloud.com/1bridgeburningsisters/1-april  

4月の習作/ykpythemind